前回の記事では、フォーカル・ジストニアらしき症状を克服するために行った方法をいくつか紹介しました。
私の場合、フォーカル・ジストニアを治そうと頑張っていた時期は症状がまったく改善されませんでした。そこから月日を経て、ある時ふと症状が軽くなっていることに気づき、振り返ってみて、あれがよかったのかな、と思うことを以下にまとめました。
もう少し早くこの方法に出会っていたら、もっと早く復帰できたのではないかと思うこともあります。
フォーカル・ジストニアの治療法は確立されておらず、私の症状が改善したのも偶然に過ぎないかもしれません。しかし私もフォーカル・ジストニアらしき症状に苦しめられていた当時はどんな情報でも欲していたので、どなたかの参考になればと思って書いておきます。
【方法その①】他の道を探す
いきなりショッキングな見出しですが、私の症状が改善されたきっかけはまずこれだったと思います。
他の道を探す。
と言っても、ピアノをあきらめましょうという話ではありません。
ピアノに「加えて」他にできることを探すのです。
私は自分以外にフォーカル・ジストニアを発症した人を知らないので(リハビリの B 先生は除いて)憶測ですが、フォーカル・ジストニアを発症する人は、一つのことにのめりこみやすいタイプなのではないかと思います。
その性質のおかげで、ピアノでも相応の成績を収めてきているはずですが、逆に自分の世界が狭くなってしまっている可能性も高いと思います。
ピアノに全人生を賭けてきた、という思いが強ければ強いほど、フォーカル・ジストニアを発症した時のショックは大きくなるでしょう。この世の終わり、という気持ちにもなると思います。
一途さというのは何かを極めるときの原動力になりますが、トラブルの際には逃げ道がないという苦しい状況に陥ることになります。そこで、自分の生活にピアノ以外の要素を少しずつ増やすことで、「ピアノがだめでもなんとかなるんだ」という自信をつけていくことがとても重要だと思います。
私の場合は、一度ピアノの道を完全にあきらめ、全く関係ない職業に就きました。そこで(ここでもまた一途さを発揮して)朝から晩まで働くという、音大生の頃には想像もつかなかったような生活を送っていました。
結果良かったことは、経済的自立のめどがようやくついたことでした。
それまでは長らく学生の立場でしたし、ピアノを活かした仕事をするにしても、経済的自立はできないのではないかという不安が常にありました。
しかし、自分でも一応人並みに働くことができ、お金も稼げるとわかったことで自分に自信を持てるようになったのです。
フォーカル・ジストニアを発症し、音楽活動も制限されるようになると、無価値観に悩まされることが多くなってくると思います。ピアノで失った自信はピアノで取り戻すのが一番よいのでしょうが、別のことで得た自信でも、無価値観を和らげる効果はあるようです。
音大卒で、しかも私のように学生期間が長いと、就職活動は簡単ではありません。転職エージェントに登録してもなしのつぶて、自分は社会から必要とされていないと落ち込んだこともあります。しかし、後から考えてみると、これまでの人生で身につけたスキルや強みに自分で気づけていなかっただけのように思います。
私は最終的には、新聞広告で見つけた求人に応募して、自分に合った職を得ることができました。
就職活動を通じて、自分でそれまで言語化できていなかった自分の特性に気づけたのもよかったと思います。また、自分がそれまで足を踏み入れたことのなかった世界に入ることで、人間関係がさらに彩り豊かになりました。
音楽家の仕事はコネクションで入ることが多いので、人脈を広げておいて損はありません。その意味でも、自分が今まで経験したことのない分野に飛び込んでみるのはとてもおすすめです。
【方法その②】 生活の見直し
これは後から考えて重要だったなと思うことですが、生活リズムを整えることは、フォーカル・ジストニアに限らず、すべての病気を治すための大前提です。
フォーカル・ジストニアを発症する前後の私は、学生で比較的時間に余裕があったこともあって、夜遅くまでネットサーフィンをしたりするような生活をしていました。当然、朝は起きられず、昼頃まで布団の中で過ごして、罪悪感でいっぱいになって、一日中不快な気持ちを引きずっていることもしょっちゅうでした。
学生の一人暮らしではよくある話かと思いますが、食生活もめちゃくちゃでした。何も作る気が起きないときは、1日3食素うどんだったこともあります。
とはいえ、もし現在あなたがこうした生活を送っているとしても、こうした生活をしていたからフォーカル・ジストニアになったんだ、という風には考えないでください。
フォーカル・ジストニアを発症すると、精神的にかなりのダメージを受けます。そこでさらに自分を責めるような考え方をしても決してよい方向には向かいません。
よくよく考えると、夜更かしをしていたのも、何か夢中になるものがあって起きていたわけではなく、何となく寝たくない、明日起きるのがなんだか億劫、という気持ちで、要は一種の睡眠障害のようなものだったように思います。つまり、もともと何かしらの精神的ダメージがあって、それによってフォーカル・ジストニアが引き起こされたのかもしれません。これは鶏と卵のような話だと私は思っています。
いずれにしても重要なのは、「自分のせいでフォーカル・ジストニアになったのではない」という事実を受け入れることです。そしてまずは心身の回復を図ることに努めてください。
【方法その③】 ストレッチと筋トレ
フォーカル・ジストニアらしき症状を発症してから、いろいろなボディワークを試したことは前回の記事で書きました。
そこから、自分の体の動きというものに興味を持つようになったのですが、不思議なことに筋トレをしようという考えはありませんでした。当時は筋トレはスポーツをする人のためのもので、自分には無縁だと思っていたからです。
筋トレをするようになったきっかけはピアノとは関係なく、30代になって体形が崩れだしたのを自覚したためです。
私はもともと瘦せの大食いタイプで、20代まではどんなに食べても一晩寝れば翌朝はお腹がぺったんこだったのですが、30代に入ってからお腹がたるみはじめたことに気づき、焦ってスクワットをするようになりました。
この時出会ったスクワットの動画がとてもおもしろく、スクワットの次は同じシリーズの腹筋のエクササイズもするようになりました。2つ合わせても1日15分程度のエクササイズですが、「体はすぐには変わらないが、確実に変わる」という言葉を励みに毎日続けたところ、みるみる効果が出てきたのです。
昔やっていたボディワークを通じて、体のゆがみがパフォーマンスにも悪影響を及ぼすことは理解していたのですが、年を重ねると、良い姿勢を維持すること自体が大変になってきます。筋トレのおかげで、自然とバランスのよい姿勢をとれるようになりました。
私が習ったボディワークでは、余分な力みをとることで正しい姿勢に行きつく、という考え方だったと思いますが、なかなか変化が感じられずにやめてしまったところもあるので、その意味では変化が目に見える筋トレの方が私には合っていたのかもしれません。
経験上、姿勢をよくすることは考え方も前向きにしてくれる効果もあると思います。胸を張った状態で落ち込むってなかなかできないものです。
事実、この筋トレを始めたあたりから、弾きづらさはまだ残っていたものの、また人前で弾いてみようかなという気持ちが芽生えてきました。思えばそれが復帰への第一歩でした。
【方法その④】 マインドフルネス
フォーカル・ジストニアらしき症状を発症する前から瞑想には興味があり、たまに座って頭を空っぽにする、ということを自分で試したこともありました。でも頭ってなかなか空っぽにならないんですよね。
呼吸法では、数を数えながら息を吸ったり吐いたりすることで、雑念をなくすというやり方を習いましたが、私に集中力がなさすぎるのか、数を数えている間にもいろんなことが頭に浮かんできてしまいます。
そんな中、かなり後になって出会った瞑想法がとてもよかったので紹介しておきます。
座って、呼吸に意識を向けます。
そして、自分が行きたいところを思い浮かべます。実在の場所でも、架空の場所でも構いません。
その場所に座っている自分を想像します。1人きりでもいいですし、誰か他の人といる設定でもOKです。
自分はその場所に休暇で来ていて、自分を悩ませる考えは全部家に置いてきたことにします。
すべてのことは解決していて、「あー、よかった」と安心している状態です。この安堵感をゆっくり味わってみてください。私は脳がじわじわと緩んでいくのを感じます。そして、この安堵感に浸っているとき、自然と他のことは考えなくなります。
これも毎日続けるようにすると、無意識の緊張がだいぶ減るのを感じられるかと思います。
【方法その⑤】 客観視することを忘れない
ここまではピアノの練習とは関係ない方法を書いてきました。
最後にピアノの練習をするときに役に立ったと思う考え方を書いておきます。
それは、常に自分を外側から眺めるということです。
フォーカル・ジストニアを発症すると、「弾けない自分」に気持ちが集中してしまいます。当時はピアノの練習をしていても、どうやったら指が動くようになるのか、と症状の分析ばかりで、だんだん音楽のことを考えなくなっていました。
しかし、本来私たちは誰かに聴いてもらうために練習してきたのではなかったでしょうか?
もちろん、自分のためだけにピアノを弾く人もいると思いますが、フォーカル・ジストニアを発症する人は、ピアニストを目指して、それに値するだけの練習を積んでいた人だと思います。
そこで、練習の時は、まず自分がどこかのホールで弾いているところを想像します。そしてホールの客席の最後列に、自分が座っているところを想像します。弾き手の自分と聴き手の自分を用意するわけです。
聴き手の自分は、自分が弾くわけではないのでリラックスして座っています。大好きなピアニストのコンサートを聴きに来たところを想像してください。そして弾き手である自分が、舞台の上で自由にピアノを演奏しているところを想像します。その自由な動作を見て、聴き手の自分の体にはどんな感覚が起こるでしょうか?
この感覚を大切にしてピアノを演奏すると、私の場合は症状がほとんどなくなります。
つまり、フォーカル・ジストニアなどに悩まされていなければ、自分はどう演奏するのだろうか?と想像し、その理想の自分が感じるであろう体の感覚をまねてみるのです。
たとえば、演劇でお姫様を演じようと思ったら、いつもの自分とは姿勢や歩き方も変わってくると思います。同様に、ピアノを自由に弾いている自分は、自分が今感じているのとは別の体の感覚をもっているはずです。単にうまく弾けているシーンを想像するのではなく、そのシーンにおいて自分の体にどんな感覚が生じるかをよくよく観察してみてください。
そして、常に客席にいる人のために弾くという視点を忘れないようにしてください。ピアノは弾くものではなく、聴いてもらうものです。これはフォーカル・ジストニアを発症していてもいなくても大事な視点だと思います。
ただ、私は今だからこそ冷静にこういった方法論を書いていますが、フォーカル・ジストニアを発症した当初はこんなことを考える心の余裕はありませんでした。
当時はピアノに向かうと、絶望感、無力感、不公平感、など、ネガティブな感情が波のように襲ってきて、とても練習に集中できる状況ではありませんでした。
もしピアノに向かっただけで感情が高ぶってしまう、とか、涙が出てくる、といった状況の場合は、まずは心身を休める段階なのだと思います。
ピアノから離れるのにも勇気がいります。フォーカル・ジストニアを発症する人は恐らく継続することを何よりも大切と考えていて、練習を休むことに対して罪悪感を持つ人もいると思います。私も、一度やめてしまったら自分はもうピアノに戻ってこられないのではないか、という不安がありました。
しかし、たまには自分が頭で考えることでなく、体の声に耳を傾けてみてください。
弾きたくない、弾けないというのは体からのメッセージです。まずは体を休めることが、フォーカル・ジストニアの克服には何よりも重要だと思います。
最近なんだかピアノが弾きづらい、思ったようなパフォーマンスができなくなってきた・・・。
そんな時は、一人で悩まず、フォーカル・ジストニア経験者に相談してみませんか?
話すだけで心の整理がついたり、今後の方向性が見えてくることもあります。
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